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鉢形城(鉢形城公園。埼玉県寄居町)

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写真: 鉢形城(鉢形城公園。埼玉県寄居町)

写真: 鉢形城(鉢形城公園。埼玉県寄居町) 写真: 鉢形城(鉢形城公園。埼玉県寄居町)

本丸址。



mixiコメントコピペ――
2014年04月11日 04:00
文明5(1473)年6月、山内上杉氏家宰 長尾景信は下総国の古河公方 足利成氏を攻める最中、戦闘は優位に進めていたが五十子の陣中において病没した。
家中の実権を掌握していた景信の白井長尾家の力を恐れた山内上杉顕定は、嫡男 景春を登用せず景信の弟 惣社長尾家忠景を家宰とした。この決定を不服として景春は反乱を決意する。
文明8(1476)年、武蔵国鉢形の地に築城。反旗を翻す。これより成氏側に立って顕定に復讐を繰り返すこととなる。
「長尾景春の乱」――

※白井長男家が家宰職を占めた時期に、同家と関係を結んで所領安堵を受けた山内上杉家傘下の武士団の中には惣社家に移る事でこれまでの権利を失うことを危惧し、景春が家宰職を継いで従来通りの安堵を受ける事を望むが多くいた。実際、所領では白井長男家と惣社長尾家の武士団の衝突が発生していた。
景春は従兄である太田道灌に同心を求めるが、道灌はこれを拒否。直ちに五十子陣中の顕定と主君の扇谷上杉定正のもとへ向かい、景春を懐柔すべく忠景が武蔵守護代を譲るように進言する。しかし、両者はいずれの対策も拒否。ならば直ちに出兵して景春を討つよう進言するが、古河公方 足利成氏と対峙している状況ではそれもできないと取り合わなかった。

文明9(1477)年正月、景春は2500騎を率いて五十子陣を急襲、顕定と定正は大敗を喫して上野へ敗走。18年に渡り対古河公方戦の防御拠点だった五十子陣が陥落。
同年3月、道灌は景春勢の居城の攻撃を開始。10月までに優勢だった景春勢を逼塞せしめた。
(4月、江古田・沼袋原の戦い。)
(10月、豊島氏滅亡。)
12月にはほぼ武蔵・相模を征圧。太田道灌はその高名をこの乱にてさらに上げた。
文明10(1478)年正月、享徳の乱勃発より20年を超える戦いに飽いた成氏は、幕府との有利な条件での和睦を望んだ。互いの和睦反対勢力によって戦乱はさらに続く。
同年7月、鉢形城落城。顕定入城。
文明11(1479)年、下総・安房の反抗勢力を鎮圧。
文明12(1480)年、景春が最期に拠っていた日野城(秩父市)も落城。景春は成氏を頼って落ち延びた。その後、顕定の養子である上杉憲房の切り離しに成功、山内上杉家当主に擁立し、家宰へ就任し再起を図る。
文明14年11月27日(1483年1月6日)、成氏と両上杉家との間で「都鄙合体(とひがったい)」と呼ばれる和議が成立。成氏は幕府から赦免。また、憲房も顕定の下に戻り、景春は成氏の下で再起を期することになった。
――こうして享徳の乱、長尾景春の乱は終焉。30年におよぶ関東の争乱が治まった。

※文明18(1486)年7月、道灌は糟屋舘(伊勢原市)で主君定正に謀殺される。


長享2(1488)年、扇谷上杉定正が鉢形城攻城に挙兵。山内上杉顕定両軍は城近くの高見原で激突。定正は戦闘には勝利したが、落城にはいたらず撤退した。
明応3(1494)年、定正は再度顕定の鉢形城を攻めようと伊勢盛時を連れて高見原へ出たが、荒川渡河中に定正は落馬して死去した。
以後、顕定の存命中鉢形城はその手にあり、後継の養子 上杉顕実(実父は古河公方足利成氏)も鉢形城を拠点とした。
永正9(1512)年、上杉顕実は同じ養子の上杉憲房の軍に包囲されて鉢形城は落城。顕実は助命されたが山内上杉家当主の座は失った。
永正11(1514)年8月、長尾景春病没(72)。
永正12(1515)年、憲房は山内上杉氏の家督継承。同年、顕実が死去し関東管領職に就任。

下剋上――この関東争乱の中、相模国を平定したのが伊勢盛時。後世北条早雲と呼ばれる。

天文15(1546)年、河越夜戦。この勝利で後北条氏が武蔵国もほぼ手中に収めた。
永禄7(1564。1561〜1569と異説あり)年、氏康4男 北条氏邦が鉢形城へ入城。以後、鉢形城は小田原北条氏の北関東侵攻の拠点となる。
戦略上の重要性から、永禄12(1569)年武田信玄が、天正2(1574)年上杉謙信が攻城戦を行っている。
天正18(1590)年、小田原征伐。
鉢形城は前田利家・上杉景勝・島田利正・真田昌幸、徳川家康麾下の浅野長吉、本多忠勝、鳥居元忠ら連合軍 35000に包囲され、北条氏邦の老臣 黒澤上野介ら3000の兵が約1ヶ月籠城戦を展開したのち、開城。
家康関東移封後、成瀬正一、日下部定好が代官となって周辺の統治を行った。

昭和7(1932)年4月19日、 「鉢形城跡」として国指定史跡。
平成18(2006)年4月6日 、日本100名城(18番)に選定。


城跡内に町天然記念物に指定されているバラ科サクラ属の植物の一種「エドヒガン」が生存している。
このエドヒガン、一度は伐採されたが、2本幹の株元から12本の芽が成長した(((*≧▽≦*)))
平成21(2009)年現在、樹齢約150年。高さ18m、枝張りは東西23.5m・南北21.8m、根回りは6.5mほど。
ソメイヨシノの片親だが、名前のとおりソメイヨシノよりやや早い彼岸のころに満開となる。

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